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April 2009  Back to Top
今日のシャボン玉

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蕎麦派

蕎麦派である。

一番広い画から云えばやはり蕎麦は関東/うどんは関西という風土的な観念がうっすらと下地にあり
あるいはそれはリージョンコードみたいなもので、僕が選ぶものではなく
世田谷育ちの僕の体自身が機械的に選択する感覚に近いのかもしれない。

次にあるのが個人的幼少時代の記憶。
初めて蕎麦屋に行った時のことこそ覚えてはいないものの
親に何度も連れていかれた町のごく一般的な蕎麦屋では
親/大人同伴で行くところという、うどん屋を含む他種店にはない特別な空気みたいなものを
子供なりに肌で感じていたことは覚えている。

小遣いで初めて一人で蕎麦屋の暖簾をくぐり、背伸びをして露を熱い蕎麦湯で割ったとき
漠然と抱いていた遠い向こう側の大人との隔たりを、少なからずも払拭したような気分になれた。

人の味覚はおおよそ12歳までに作られるというが
自分はその歳までに蕎麦のプロトコルを体に舌に、脳の味覚野に刷り込み
関東エリアに在住する多くの人と同様に、環境要因に起因する蕎麦派体質と化していった。

蕎麦を食し味わう、といったフィジカルなニーズを満たすことより
それ以外の、つまりは蕎麦屋にカッコをつけに行くという目的の割合の方が上回り始めた時期は
目黒で10年ほど過ごした際、近所の蕎麦屋に通いつめた時期と重なる。
以降、その時の気分で蕎麦屋を決める時はあるが、蕎麦自体から行く店を選ぶことはない。

週末や休日、ましては連休に蕎麦屋に行く気にはならない。
行くのはなんでもない平日の昼と夜の間に限る。
その時間から誰に憚ることもなく、酒と肴を愉しめるのは蕎麦屋以外にない。
他では後ろめたさを感じさせるが、蕎麦屋ではむしろヤっている方が毅然としていられる。

最もよく行く十番の堀井では、いちにん客はカウンターに促されるのだが
いつも入って左手前の小上がりに上がらせてもらっているので
ここ何年かは店の人となんとなくの空気でそこに座るものとなってしまった。

堀井では板わさや季節の三点盛りを中瓶でやり、酢の物を蕎麦焼酎の蕎麦湯割りで流し込む。
湯桶に濃いめの蕎麦湯を別に張ってもらい、蕎麦焼酎を薄めながらしばらくの間チビチビやる。
入ってから客が二、三回りするのを文庫本や iPhone 超しに眺めた末、最後に盛り蕎麦を手早く手繰る。

種物/ぬき物の類いは取らない。蕎麦屋の昼酒はそれだけで十分贅を尽くしている感があり
自分みたいな若造はそれ以上のことをすると罪悪感で酔いを冷ます。

二番目によく行く神田の薮蕎麦では、突き出しの蕎麦味噌を舐めながらエビスの生
そして季節の五点盛りをあてにお銚子を一、二本いただく。
夏の暑い日、座敷の奥で蝉の鳴き声を聞きながら、ギラギラと輝く庭の青々しい草木を見ているだけで
その瞬間にミサイルが飛んできても、もうどうにでもなってしまえという気分になってくる。

こう書いていると蕎麦自体を好いているというよりは
蕎麦屋の社会的位置づけや、蕎麦を食べるまでの間のようなものが好き、ということのようであるが
つまりはそういうことこそが、自分が蕎麦派であることの所以なのである。


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十番 更科堀井

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神田 薮蕎麦

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学芸大学 武蔵野

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