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Title: 人それぞれの芸術鑑賞法

全ての芸術を完璧に理解している人なんて一人もいない。そして誰かのある作品に対しての理解が誰かのそれを上回っていようと、それは自分とその作品の間に生じる関係に何の影響も与えない。自分が感じたこと、それが全てでいいはずである。

何の予備知識もない子供には芸術は分からない、よって子供は芸術に触れる必要がない、なんて考えはナンセンスで、中には子供が持っている柔軟で探求心の固まりの様な脳でしか感じることの出来ない物もあるだろうし、予備知識が無いが故に先入観、固定観念から解放され、素で向かい合えるといった楽しみもあるのもまた然り。勿論、事前に作者の意向や素性を知った上で鑑賞しないと分かり得ない物もあるのも確かで、デュシャンの「泉」なんかは??って思うのも当然。でも分からないとその場で思っても、その時点でもし興味があればそこから掘り下げればいいだけの話で、分からないからその場に足を運ばない、運ぶ意味がないという訳ではない。

僕は自分の中から「もっと知りたい汁」が出ない限りあえて知識はなるべく入れないようにしている(勉強嫌いとも言う)その方が己の過去のデータベースに基づいた私的な感覚や意見を持て、よりパーソナルな体験としてインプットされるから。情報を事前に入れ過ぎるとどこぞの評論家が言ってそうなありきたりで陳腐なフレーズが一瞬先に意識上に現れ、それがイニシャルイメージとして脳内に記録されるのがシャクなのである。たとえ自分から湧き出た言葉がいくら陳腐でありきたりでも、それは自分の言葉であるからそういった部分での不快さを感じることはない。

芸術は発信する側と受信する側の間に何らかの作用が生まれて成り立つものであるのは間違いない。多くの人は発受信の場=美術館でそれらの作品群を受信/鑑賞する訳だけど、その鑑賞法は人それぞれ。ましてはその日の気分によって、または見る物によってその人個人の鑑賞法も換わってくる場合もある。あるいは自分に合った鑑賞法が見付からず、食わず嫌いになっていてもったいない日々を過ごしている人もいるかもしれない。先日、NHKの某番組で美術館の楽しみ方みたいなのを紹介していて、いくつかあったポイントの内二つほど気になったので、僕なりの超訳と共にここに記させてもらいます。でもまあ所詮人の考えたメソッド、合う合わないもあるでしょうからあくまでも参考までに、。意外と普通に実践してる人もいるかも?

一つ目は、美術館だとお金を払って見てるという意識が働いてか、ある物ない物全部じっくり見て、分からなくていいものまで分かろうとして、自分の感覚を無視してまでも、なんでもかんでも乱暴に脳内にインテイクしてしまいがち。この思考回路、我々資本社会に生きる人間にデフォルトでインストールされているのでしょうか?そんな意識しないとそこにあるのすら忘れてしまいそうな本能まがいのメカニズムを一旦スリープさせ、真逆の発想を持つとどうなるか。つまり全部見るのはもったいない、という考え方にシフトする。好きな物、気になった物だけを見て、見た物は無理に分かろうとせず、興味が湧いた部分にだけ意識を集中させる。すると自分の感覚に関係ない物をスルーさせる事ができ、自分が興味を持った物、感じたことのみを心に留めておく事ができる。同時にそれは常に自問自答を繰り返しながら見ることになるので、自分の好みを判別することにつながり一石二鳥でもある。お金はそこから持って帰る感動に払っているということになり、結果的にもったいなくない、と。なので興味がないと思ったら迷わず素通り、いいなと思った気持ちはしっかりと to go に、。

二つ目は、受動的に見ないで能動的に見るようにする。ただただ受け入れる、受け止めるだけではなく、自分の方から積極的に気持ちを入れ込んで見るようにする。ではどのようにすれば能動的に見られるのか。それは自分に、もし一つだけ買うとしたらどれを選ぶか、と問うことで可能であると、。そうすると気になった作品を好きなアイスクリームのランキング付けをしているかの様に吟味することになり、脳内で最も高度な情報処理を行う前頭連合野が活性化し、ただ見させてもらっているという行為から、村上隆の芸術起業論的な??金銭を一つのツールと見なしたビジネス風マインドセットで向き合うことになる。そうすると今まで見ていた作品が自分にとってどういう存在なのか、というあくまで自分在っての対等な関係が生まれることに、。その自分の家に飾るなり置くなりするわけだから、家電とかのデザインを決める時みたいに真剣に見較べるようになる。よって同じ作品の見え方も変わってきてより一層楽しめるのだとか。

僕はこの二つを胸に、でも頭はいつも通り真っ白にして森美術館で開催中の「六本木クロッシング」を見てきたんですが、意外と役に立った気がします。一つ目は気持ちが妙に楽になったせいか、気になった作品だけをピンポイントにじっくりと見られたし、二つ目は今までにはない現実的な視点でいろいろと見れたので、最初は戸惑ったけど慣れたらそれはそれで面白かった気もします(何故か後日にどの作品をどういう目で見たのかを思い出すことも出来た)でも二つ目は奇妙難解で理解に苦しむ物ばかりの時に試した方がより効果的かもしれない。「六本木クロッシング」はどれも分かりやすく、何も考えなくても十分に楽しめると思う。本当は何も考えないで見るのが一番いいんですよ、やっぱり。ってこれだけ書いておいて、。いやいや、既に見れてる人は何もしなくていいんです。ただ、美術館で芸術鑑賞をするという行為に抵抗がある人に、オルタナティブな考え方もあるということを知った上で引きこもってもらいたかっただけなので、。騙されて行くなら「六本木クロッシング」に、。

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